ちょこれいじ | ビーントゥバー(クラフトチョコレート)販売

2025/01/07 19:55


2025/1/12(日)、長きにわたる日本一周の旅が遂にゴールを迎えます!


■ゴールに向けた想い

全国のクラフトチョコ職人に会いに行き、話を聞き、場所を転々として生活するようになり約4年。想像していたよりもだいぶ時間がかかって、やっと、本当にやっと47都道府県全てを周り終えることができます。

日本のクラフトチョコのお店に行って食べるだけでなく、時には何週間と働かせてもらったり海外4ヵ国のカカオ農園をバックパック背負って1ヵ月以上周ったりもしました。

絶対に自分だけの力では成し得なかったことです。クラフトチョコレート屋さん、旅中に出会った仲間、活動を知ってチョコを買って応援してくれた方達。たくさんの人に支えられて、ひとまずのゴールを迎えることができました。本当にありがチョコです。

この4年間、もちろん全てが上手くいったわけではなく、むしろ苦戦してばかりでした。経営としてはきちんと成り立ってはなく、早々に貯金は尽き、借金もして活動を続けています。

チョコレート屋さんだってそうで、コロナや景気悪化、カカオ豆の高騰など、継続することが大変苦しいというお店もたくさん見てきました。中には数千万円以上の借金を抱えながらも、なんとか踏ん張り続けているところも。

それでもみんな辞めずにお店を続けられています。きっと簡単に辞められるものではないし、絶対に続けたい理由がある。直接行って話を聞いたからこそ、その熱量を直に感じてきました。

あるチョコ屋からは「辞めないということだけを決めてスタートしました」という言葉を聞きました。僕も辞める気は全くないし、むしろここから。この4年の経験値をきちんと活かしてカタチにしていくフェーズだと思っています。クラフトチョコレートはそれほどまでに可能性に満ち溢れていると信じています。

日本のクラフトチョコ店だけでも約150店、海外や百貨店のチョコ屋まで合わせれると200店以上に行き、1,000種類以上のチョコを食べてきました。それだけたくさんのお店に行って作り手と会って、感じたことは、「やっぱりみんな全然違っておもしろい、本当にすごい!」ということでした。

多くの方から聞かれたことが「どこのチョコ屋が一番美味しかったですか?」という質問。でもその度に毎回答えています「マジで一番とかないし、決められません」と。どのチョコもほんっとーーーーに個性が違うし、同じジャンルではくくれないからです。

きっと旅に出る前は答えられたかも知れませんが、今はそれほどまでにたくさん、深く、知りすぎちゃったのだと思います。たった一言では伝えられないチョコの魅力、作り手の魅力、地域の魅力。

どのチョコレートも独自の目指す姿を極め続けている、それぞれの最高なチョコレートです。それを誰よりも自分自身で感じてきた僕だからこそ、やっぱり次はたくさんの人達に伝えていきたいと思っています。

チョコが好きな人、甘いものが苦手な人、どれも一緒だと思っている人、変わったものが好きな人、料理が好きな人、コーヒーや紅茶が好きな人。いろんな人にピッタリ合いそうなチョコを今では提案できるようになってきました。

コーヒー屋さん、カレー屋さん、創作料理、お酒のバー、ラーメン屋さんまで、いろんな業態のお店ともコラボでイベントをしてきました。思いもよらないものにだってクラフトチョコは寄り添える可能性を秘めているのです。そんなチョコの可能性を広げていく活動をこれからも続けていくつもりです。


■チョコと一緒に伝えたいこと

「共感による購入」「この人から買いたい」という衝動を、僕はクラフトチョコレートで強く味わいました。その時って、他のものが○○だからそれに比べてとか、このサイズでこの値段はとかいう、価格や利便性で比較する観点がすっぽりなくなっちゃうんです。

人や想いやストーリーが乗ると「これは唯一無二で、他と比べれるものではないんだ」と明確に感じたことを覚えています。

日常に近いような当たり前なものにこそ、その感覚ってなくなりがち。だけど、その物の背景には必ず関わってくれている「人」がいる。

その背景にまで目を向けた購入の仕方を、たまにでも「選択してみる」という風潮をクラフトチョコレートを通じて伝えていきたいと思っています。

もっと言えば、僕自身のこの活動を成り立たせることで、生き方としての選択肢も増やせたらと思っています。

働くことを、義務感や生きるために仕方なく…という感覚でやっていた時期が僕にはありました。けれど、クラフトチョコレートとそこに携わる人達と出会って、「この業界に僕の人生を捧げてみたい。そしてそれが仕事としても成り立たせられたら、どんなにいいか」と妄想しちゃいました。

拠点を持たず旅しながら、クラフトチョコレートを知り、広め続ける。生活と仕事を切り分けずに、常にちょこれいじとして生きる。そんなチャレンジでもあったのです。

この生き方を成り立たせることができれば、楽しみを持たずに働く誰かの選択肢になるかもしれない。なんだか偉そうであまり言えてなかったことですが、実は胸に秘めていた大きな目標でもありました。


■ゴールの場所、ダンデライオン・チョコレート

この旅のゴール地点がダンデライオン・チョコレートになったことには、大きな意味があると思っています。

まず、正直に言うと三重県が最後の県になるとは思っていませんでした。むしろ、「三重が最後に残ってしまった、どうしよ…」くらいに全くアテもなし。

東京とか大阪で終われたら人も多いし盛り上がりそうでよかったかも、とか思いつつも伊勢神宮でお参りくらいはやろうとマップを調べると、近くにダンデライオン・チョコレート伊勢店が…!

コロナ禍で休業していたことは知っていて、京都の店舗は閉店してしまったりもしていたので、勝手に三重もなくなっていると思い込んでたのですが、なんとか再開していたのです。

ダンデライオン・チョコレートの第一号店はサンフランシスコにあります。そしてこのサンフランシスコはビーントゥーバーが発祥した場所でもあるのです。ビーントゥーバー発祥の地にルーツがある店でゴールを迎えられるなんて、旅でチョコの起源を辿ってきたみたいでなんだか良くないですか?

そして実はダンデライオン・チョコレートは、僕が旅を始める決断のキッカケにもなった店なのです。まだ会社員だった時、コロナとなり、心からやりたいことを模索していた時。ダンデライオン・チョコレートが開催するチョコ食べ比べzoom会に出会い、試しに受講してみました。

その時の講師だった伴野さんが「ビーントゥーバーは狭い業界だけど、作り手さんがとても温かい。いろんな場所の人と仲良くしている」と話されていて、純粋に「いいなぁ。そんな世界があるのか」と思いました。

そして、「日本には約150店のビーントゥーバーのお店がある」と話されていて、直感的に「あれ、そのくらいなら全部行けるやん。でもまだ誰も行ってないのかな」と思い、途端にワクワクしてきたのを覚えています。

あの時の言葉を聞き、「そんな世界で生きたい、そして全部行ってみたい」という衝動に突き動かされて、1週間も経たずに会社に辞めますと告げていました。

さらに、僕が初めて出会ったクラフトチョコであるウシオチョコラトル代表の真也さんが初めて食べて衝撃を受けたクラフトチョコが、ダンデライオン・チョコレートだったのです。ダンデライオン・チョコレートがなかったら、ウシオチョコラトルは生まれなかったかもしれない。つまり、ダンデライオン・チョコレートがなかったら、僕はクラフトチョコに出会わなかったかもしれないのです。

そんな3つの理由があり、ダンデライオン・チョコレートでゴールを迎えられることは、すごく胸が熱くなります。3つ意味が重なる。三重。これもなんか、うおおおっ!てなってます(笑)もう、天照大御神に導かれたとしか思えなくなってきてますし、必然だったのでしょう。

そして、こんなに規模感も大きいブランドが、イチ個人のちょこれいじを受入れてくれるなんて元々は夢にも思ってなかったですが、この縁を繋いでくれたのはウシオチョコラトルでした。ウシオの真也さんと、ダンデライオン・チョコレートの物江さんの寛大さに感謝です。