2024/05/22 10:21
能登半島災害ボランティアに行って。
大変大変遅くなりましたが、4月に行った能登での活動報告です。
まずは、活動に関してたくさんのご支援やご協力頂けた皆様。
本当にありがチョコでした。おかげで無事に一週間活動させてもらうことができました。
今回の行先を紹介してくれた「Silbern」さん。
珠洲でお世話になったさだまるビレッジ さん。そこに集まってた皆様。
輪島でお世話になったえがらまんじゅう中浦屋のオーナー中浦さんと、「輪島むすび 」の皆様。
チョコレートを100袋も協賛して下さった「Humming Bird 」さん。
本当にお世話になりました。
感じたことが多すぎて
4つのパートに分けて記事を書かせてもらいます。
①能登のざっくりとした現状
まず思ったのが、能登ってこんな遠いんだなということ。
僕は、富山市の砺波市という能登半島の付け根あたりで一泊してから向かったのですが、能登半島の最先端部にある珠洲市に行くまでに車で3時間以上かかりました。
珠洲市に入るまでのメイン道路は、時折でこぼこしていたり、ひび割れていたりするもの、車で全然走れるし、今はもう緊急車両的な車で渋滞している様子などはありませんでした。
ただ、道路は明らかに補修した後ばかりで、破損している建物もちらほら見えました。コンビニやドラッグストアなんかも再開してる様子で、この時は「やっぱりそこそこ復興は進んでいるのかな。」なんて思ってしまっていました。
けれど、珠洲市に着き、街道を走り始めると景色が一変。完全に倒壊しきってぺちゃんこになってしまっている家屋が何軒も続き、倒れそうな角度で立っている信号機や看板、道路にはみ出している瓦礫、など。。。
映像では見ていた気がしたけど、実際に目の当たりにすると
「ここまで酷かったのか。。。」と。
ニュースから数字で聞く○○○人の死傷者、被害状況は、、、という情報より、自分の目でこの惨状を見る方が遥かに大きく感情が揺さぶられました。「この家の中にいた人は、確実に潰れてしまっているよな」という震災が起きた瞬間のこと。「こんに壊滅した町が、キレイな状態になるのって膨大な年月がかかるだろうな」という未来のこと。
想像できてしまうことが、一気に増えました。
避難や二次避難により、今この町に残っている人はすごく少なくなってしまっていました。そこに人がいなくなると片付けや、やれることも進まず、片付けも滞ります。遠くへ避難してしまい持ち主と連絡がつかないために、貴重品の回収などが行えず手をつけれない建物もあると聞きました。
勝手なイメージで、毎日いたるところで作業が行われ、工事が着々と進んでいると思っていました。
だけど現状は、深刻な人手不足。
工事や撤去作業をしている様子も、あまり見かけませんでした。
聞いた話だと、役所への依頼でも、何百件も順番待ちの状態で、工事に着手できるのも何年後だよという状態だとか。
震災直後に「現地に来ないでください。」というメッセージがメディアから強く訴えられたこともあり、ボランティアの数が全く足りていない。けれど、受け入れる体制や機関も少ない。
公募から応募して来たとしても、拠点から遠く離れた場所への往復時間も長くかかる上、日中しか作業できずに全然進まない。
様々な要因で、とにかく進んでないんです。
だけど、国や行政が全部どうにかしてくれるものではなく。
少しずつでも、誰かが、やらなければ進んでいかないんだなとは肌で感じました。
しかも、やればお金をもらえるバイトや仕事とは違う。
他の被災地でボランティアを経験した人曰く、
「これだけ日数が経っているのに、こんなに復旧してないのは異常すぎる」と。
他にも、「さすがに、何かおかしい。」とか。「国は復旧させる気がないとしか思えない。」
というような感想を持つ人もいるくらい。
立地、財政、市、国、権利などなどきっといろんな要因が絡み、複雑が故に簡単にはいかず、素早く対応してくれるわけではない。
だからこそ、「このままじゃまずい」と強く感じた誰かや団体の迅速な行動、長期にわたる支援や関わりはとても大事で。
どこかに任せていただけでは取り残されてしまう、手遅れ。
ということは全然起こりうるのかなと感じました。。